かつてに比べ生き方や働き方の選択肢が増えた今の社会には、もはや明確で画一的な幸福のモデルはありません。互いを尊重し合いながら誰もが自分らしくいられる地域コミュニティの形成に向け、日野市が新たに立ち上げた地域共創プログラム「妄想実現課」。29歳以下の若者がつながり、多様な豊かさとウェルビーイング(※)を実現する社会のあり方を考え、プロジェクトやアクションの創出を目指します。
日野市の架空の部署となる妄想実現課を通じた新たな試みについて、大坪冬彦市長と同課のサポートを担当する鈴木“課長”、森脇“課長補佐”、酒井“課長補佐”に聞きました。
※ウェルビーイング…心身ともに健康であり、社会的にも経済的にも満たされた状態であること
まずは個人的な思いから。安心して妄想を語り合う場をつくる
地域のことを“自分ごと”として捉え、よりよい未来のために動いていく仲間を増やしたい。そんな思いをもとに、日野市では2023年に「日野地域未来ビジョン2030」を策定し、それぞれの理想の日野に向かって一人ひとりができることを考えるワークショップを継続して開催しています。また2024年には、時間や場所を限定せずにアイデアや意見を共有できる「日野市地域共創プラットフォーム」を立ち上げました。個人のアイデアをみんなでじっくり考え、サポートし合いながら有効なアクションを生み出していくための、オンラインのプラットフォームです。
こうした取り組みの狙いや仕組みを若い世代により浸透させ、活用を促進していくため、このたび日野市の架空の部署として「妄想実現課」が誕生しました。妄想実現課は、多様な暮らしの実現に取り組みたい高校生から29歳の若者が参加する地域共創プログラムです。これまでの日野市にはない新たな試みとなるプログラムの特徴を、鈴木課長は次のように話しました。
「妄想実現課の大きな特徴は、高校生から29歳までという若い年齢層の参加メンバーを募ることです。プログラムの中では、まずデザイン思考を学びます。地域全体や目の前のこと、自分のことなど、あらゆることを観察することが、デザイン思考の出発点となります。そうやってデザイン思考を学びながら、一人ひとりが自分らしくいられる社会のあり方を考え、アクションへとつながる求心力のある問いをデザインします。さらに若者のアイデアや意見を起点に、デジタルツールを活用しながら多様な価値観の可視化につなげていく。これが妄想実現課の全体像です」

これまで行政のサービスや地域のサポートに対し、受動的なポジションであることが多かった若い世代を中心に据えた妄想実現課。“多様性”や“協調性”というスローガンの後ろに隠れてしまいがちな、各々の思いを表現し共有できる場になると鈴木課長はいいます。
「まずは個人的な思いから始めてほしいと考えています。昨年度の『日野地域未来ビジョン2030』のワークショップで感じたのは、個人の理想や希望の共有が意外と難しいということでした。未来に対する思いを持っていても、それがどれくらい現実的か、地域にとって意味があるかなどさまざまな要因を考え、その思いを自分の外に出さないようにしてしまう方も多いようです。妄想実現課ではその垣根をなくし、“妄想”レベルのことから共有できる場にします。“私はこうしたい”というそれぞれの思いを肯定し合いたいんです」
自らも妄想実現課メンバーと同世代である森脇課長補佐も、「日野地域未来ビジョン2030」のワークショップを経て、妄想から始めることの意義を強く感じていました。
「ワークショップでは『自分が考えていることは妄想に近いから、家族や友だちには話せない、恥ずかしい』という声を聞きました。特に若い世代ほど“個”の思いを人に伝えるのは、なかなかハードルが高いことなのだと感じています。妄想実現化は誰にとっても安全な場所で、自分の妄想を自然に受け止めてくれる仲間もいれば、応援してくれる人もいる。人に話したことはないけれどやりたいことがあるという方、アイデアはまだ明確になっていないけれど動き出したい方など、ぜひ参加していただきたいです。あるいは自分が何をしたいか分からないという方も、その場に集まったメンバーと対話を重ねることで、呼び覚まされる思いがあるかもしれません」

デザイン思考がもたらす新たな視点と多様な選択肢
地域共創へのアプローチとして、若い世代に焦点を当てた架空の部署を設置するのは、日野市では初めての試みです。大坪市長はこれからの地域を担う若者たちへの期待をこう語りました。
「行政は日頃から、一定の制約のもとでいろいろな施策を進めています。ただ制約を前提として物事を考えることを繰り返していると、無意識のうちに一歩が小さくなってしまう。イノベーションの発想が出にくくなってしまうところがあります。その枠を取り払い、とにかく自由に発想できる場をつくったほうがいいと感じていました。
これからの未来を担うということは、気候危機や2040年問題などの差し迫った社会課題を背負うということでもあります。そうした課題を前にどうやってよりよい未来をつくっていくか。それを若い方々の発想を起点に、私たちも一緒に考えていくことが重要です。“妄想”を前提とすることで、これまでより大きく自由にアイデアを出すことができるのではないかと期待しています」

自由な発想を共有し、協力し合える仲間と出会い取り組むことができる妄想実現課。そのプロセスを歩む有効な手段としてデザイン思考を実践しながら、アクションへとつながる問いを立てます。観察することから始めて、新たな視点や物事の多様な捉え方を獲得していくと、漠然と遠くに見えていた課題がとても身近なものになったり、角度を変えて見ることでアプローチへの手がかりが見つかったりします。そのスキルを学ぶことが妄想実現課の最初のステップですが、それは決して特殊な能力ではないと鈴木課長はいいます。
「例えば地域の共用スペースについて、管理が大変だから縮小していくという考え方がある一方で、そこに暮らす人たちが楽しんで活用しながら、交流の場として発展させていくという選択肢もあります。顔を合わせて対話を重ねたり、実際にそのスペースを活用したりすることで、さまざまな視点を共有しながら解決へと向かっていく。その体験の積み重ねが重要なのだと思います」
妄想実現課では、これまで行政がアプローチできていなかった若い世代の、まちづくりや地域の未来に対する声を集め、将来的に実際のアクションにつなげていくという狙いもあります。日野市が実施する市民意識調査では、シニア層の回答率に比べ20代以下の回答率は大抵の場合とても低いものです。その結果からは、若い世代の地域に対する期待値の低さや、主体性を育む環境が十分ではないことがうかがえます。未来への希望が持てる地域を自らつくりたいと思えるベースを築き、日野市が若者にとって暮らし続けたいまち、活動したいまちになっていくことを、妄想実現課では目指しています。
地域活性化やまちづくりに対し若い人たちの声がなかなか集まらないことについて、鈴木課長は「居場所がないと感じているのでは」と考えていました。
「新しい意見が受け入れられないと思ってしまったり、年長者たちが築いてきたやり方に倣った方がいいと感じてしまうような風潮があるのかもしれません。自由な発想をどう形にしたらいいか、新しいことをどう始めたらいいか分からない、ということもあると思います。妄想実現課では思わず一緒にやってみたくなるような自由なアイデアをどんどん出してほしいですし、それをみんなで協力しながら形にするという動きを生み出していきたいです」

自分自身が声を上げ働きかけていくことで、理想に向かって社会を変えていける。自分たちが中心となって自分たちの未来をつくることができる。より多くの若い世代がそんな姿を思い描けるよう、妄想実現課ではプログラムを通して行政や市民が伴走し、メンバーたちと一緒に日野市のウェルビーイングな社会のあり方を考えます。酒井課長補佐は妄想実現課という架空の部署について、プログラムをサポートする行政や市民にとっても「“自分ごと”として関われる対話の場」と説明します。
「これから若い世代が担うことになる社会や地域のことを、若者不在の場で議論するのではなく、当事者である若者たちが中心になって声を上げ、アクションを生み出していく。それをサポートするのは、行政の特定の部署だけの役割ではありません。行政も市民も立場や組織、部署の枠を超え、一体となって向き合える対話の場が妄想実現課です」
地域に変化を起こし仲間を増やしながら進む妄想実現課
今年度募集する妄想実現課の初めてのメンバーについて、「さまざまな人に参加してほしい」と大坪市長。
「日野市では現在、民間の“副業人材”を登用する実証実験を実施しています。そこには会社に所属しながら、興味のあるテーマで地域の課題やまちづくりに取り組むという方がたくさん関わっているんです。おそらくきっかけさえあれば、若い方たちも同じようにアクションを起こしてくれるのではないかと感じています。地域のためというよりも、自分自身の未来設計のために力を発揮したくなるような、そんな場になればいいと思います。それは結果的に日野市の課題を解消し、未来につながっていくのではないでしょうか」

妄想実現課はプログラムの中でデジタルツールの活用を促進し、活動を通してネットワークをつくり出します。まずは第1期生が主体となり取り組みや情報を発信することで、その活動に共感する同じ世代の仲間が現れ、参加者の輪が広がりアクションも増えていく。2年目、3年目と続いていく妄想実現課には、そんな未来が待っているはずです。
最後に、これから出会う同世代の妄想実現課のメンバーに対し、森脇課長補佐は「自分自身も学びを得たい」と期待を語りました。
「私は普段から仕事の中で高校生と関わる機会があり、高校生が自分たちが取り組むべきことを考え話しているのを聞くと、自分にはない視点に気付かされたりします。また地域の取り組みに高校生が参加すると、どうしても若者の代表のように扱われてしまうことがありますが、妄想実現化ではみんなが若い世代です。私もデザイン思考を学ぶ場に参加しながら、みなさんにさまざまな価値観を教えていただきたいと思っています」